相武電鉄資料館

戦車道路の記録

探索編2 短絡/支線

 周回コースの他、周回コースを南北に結ぶ短絡コースも計画されており、星谷戸トンネル先(八王子市南大沢)から多摩市唐木田付近までは暫定ながら使用されていました。
 また周回コースと一般道などを結ぶ支線も整備されており、八王子市鑓水より町田市小山と町田市下小山田より相模原市小山の在日米軍相模総合補給廠(旧・陸軍相模造兵廠)までは沿線各市の市道として現在も使用されています。


 支線-横浜道 (町田市小山町~八王子市鑓水)
写真:小山支道(田端方面より)  
写真:小山支道(より)

 町田街道より本線をつなぐ支線部分は、旧くより八王子から鑓水峠を越えて横浜へと至る横浜道(絹の道)として、多くの生糸商人が行き来した道でした。
 この道の幅を拡張し、運行試験場の周回ルートの一部となる予定だった現・尾根緑道へのアプローチ道路としたのです。
 周辺の宅地開発が進む前から、2車線の車道に加え緑地帯の付いた歩道が両端にもつという道路構造となっているのも、この道が運行試験場ルートの一部であったことを示しています。


 支線-旧陸軍相模造兵廠方面 (町田市小山ヶ丘 小山町・相模原市中央区上矢部)

 旧陸軍相模造兵廠より運行試験場への入出路として、造兵廠北側にあった旧正門より町田街道を横切り、唐木田・中組方面短絡コース分岐点付近で接続する道路が整備されました。

写真:境川方面への坂道

 周回コースから町田街道・馬場交差点へ至る坂道は大変急なものであったらしく、道幅の拡幅とともに勾配をなだらかにするための改良工事が行われました。
 この工事には多くに朝鮮の人々が動員されたそうで、丸太をヤクラ状に組み、その上にレールを敷いてトロッコを使い山の土を運び出し、このヤグラを埋めながら道路を造っていったと云われています。

写真:現在の高橋

 馬場交差点で町田街道を越えると、境川に架かる高橋に至ります。
 現在の高橋は戦後に架橋されたもので、造兵廠から運行試験場へ戦車が出入りしていた頃の高橋は、一世代前の昭和9年(1934年)に架橋された2代目となります。
 2代目の高橋は、造兵廠が出来る前からあったものを大きな改修をせずそのまま使用していたとのことで、だいぶ頑強に作られたようでした。

写真:上矢部一丁目バス停付近  
写真:旧造兵廠正門前付近

 境川から旧造兵廠正門に向かう道すじは、中央に分離帯が設けられるほど広い道幅を有しており、この通りが造兵廠へ向かうメインストリートであったことを物語っています。

写真:旧陸軍相模造兵廠正門跡

 旧正門は在日米軍に接収された後に閉鎖され、現在ではコンクリート塀で塞がれています。
 旧相模造兵廠には、この正門の他に、現在の正面ゲートとなる西門、矢部駅前の南門、すすきの町・向陽町付近の乾門がありました。


〔 参考文献 〕
  • 陸軍省 (1942) 『土地買収に関する件』 (陸亜密大日記 第63号)
  • 上馬場町内会史編纂委員会 編 (2008) 『ふるさと上馬場』
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