相武電鉄資料館

相模原(旧市域)の寺院・小堂

大野北地域

名称 所在地 備考
龍像寺 中央区東淵野辺3-25  
龍頭寺(跡) 中央区淵野辺本町2丁目付近 廃寺
薬師堂 中央区上矢部4-6  

龍像寺

写真:龍像寺山門
創建 暦応年間
山号 淵源山
寺名 龍像寺
開山 天台紗門存光師
宗派 曹洞宗
本寺 広沢寺【厚木市七沢】




 縁起によると、境川(別説では大沼)に住んでいたという大蛇を淵辺義博が退治した際、頭、胴、尾の3体にちぎれたことから、それぞれ別の地に葬り寺を建立しました。
 その後、3寺とも衰退しましたが、弘治2年(1556年)にに巨海和尚がこの龍像寺のみを再興しました。
 寺宝には龍の骨といわれるものと矢尻、板碑が納められています。

 寺の東には寺の名を冠した『龍像寺坂』があります。

【武相卯歳観音霊場第48番】
御詠歌
あふぎみる ふちのべのさとの りゅうでらの
 みめぐみふかき じひかんぜおん


龍頭寺(跡)


寺名 龍頭寺
開山 天台紗門存光師




 淵辺義博が境川の大蛇を倒した後、その頭を葬り龍頭寺を建立しました。
 うんたさんの坂(天高坂)の付近に龍頭寺があったといわれています。



薬師堂

写真:薬師堂本堂
旧持分 村民持




 『相模国封土記稿』においては村民の持ち分であったされていますが、明治初頭に編纂された『皇国地誌』では長慶寺の支配下にあったとされています。
 17年に一度に“中開帳”、33年に一度に“本開帳”が行われ、その際には参拝者で境内は賑わいをみせるとのことです。



〔 参考文献 〕
  • 相模原市教育委員会 編 (1984) 『地名調査報告書』
  • 相模原市教育委員会 編 (1984) 『平成さがみはら風土記稿・寺院編』
  • 相武史料刊行会 編 (1929) 『新編 相模風土記:淘綾郡 大住郡 愛甲郡 高座郡 津久井郡』
  • 座間美都治 (1978) 『相模原民話伝説集』
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